生い立ち(出生~高校) 人生の折り返し
こんにちは!
私も今年で40歳ということもあり、原点回帰を含め人生を振り返ってみました。
人生あと40年として、80歳まで生きれたら嬉しい限りです。
恥ずかしい投稿ですが、何回かに分けて残していきたいと思いますので、お気軽にお付き合いください
そしていつか子どもたちが大きくなったら、このブログを見て何かを感じてくれれば嬉しいです。
こんな生き様の父親だったと。
おそらく1歳ぐらい!?
これを書いていたら父を思い出すことが多く、父は僕が幼少期の頃から腎臓が悪く、亡くなるまで30年以上透析生活をしながら家族を養ってくれました。
一昨年春に71歳で他界しましたが、ここまで何不自由なく育ててくれて感謝してもしきれません。本当にありがとう。
母と4つ上の兄と。母親が若すぎる(笑)兄とは帰省すると毎回二人で飲みに行く仲です
1983年10月10日愛知県名古屋市生まれ。父は、製薬会社勤務、母は元銀行員、
4歳上の兄に見守られながら、小さな病院で出産、温かい家庭で育ちました。
性格は甘えん坊でとてもわがままだったと覚えています。うちの長男もすでに似た傾向があります・・・。
兄は幼い頃からよく勉強ができ、国立大を卒業し、僕はスポーツばかりしてました
小学校から高校まではバスケットボールに打ち込み、高校生の時に私の人生の歩みを決定する「出逢い」がありました。
バスケ部専属で週一度トレーナーの方が来てくれていました。
今でこそ、部活にトレーナーという職業の方が多く見受けられますが、約20年前の当時は非常に珍しかったかと思います。
当時、捻挫や肉離れなど怪我が多く悩んでいたこともあり、よく相談に乗って頂き、リハビリやテーピングをしてもらい試合に出場していました。
それがきっかけで選手をサポートする「アスレティックトレーナー」という職業があることを知りました。
そして、部活を続けながら自分のプレイヤーとしての状況とチーム状況を考え、自分がプレイヤーでいるよりも裏方で選手をサポートする立場になった方がチームの為になると思い、高校二年の途中からマネージャーになることを決意しました。
マネージャーというチームの役割を通して、毎週トレーナーの方にストレッチやマッサージ、テーピングの巻き方などを教わりました。
そして、高校三年生の最後の大会にて惜しくも準優勝で終わり、全国大会出場という目標は叶わなかったのですが、試合が終わって最後まで戦った同級生や後輩から感謝の気持ちを言葉でもらった時に、選手のために行ったことが、何倍にもなって自分に返ってきたことが忘れられない思い出となっております。
そういった経験から、これほどにやりがいのある仕事が将来の職業になっていたら、こんなに素晴らしいことはないと、この仕事を目指すきっかけとなりました。
続く
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