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生い立ち②(高校~沖縄移住)

こんばんは!
前回からの続き「生い立ち第2弾」です。
今回も自己開示の投稿ですが、宜しければお付き合いください(^_^)
生い立ち②(高校~沖縄移住)
高校卒業後は、高校の時にお世話になっていたトレーナーの方の元で勉強したいという思いが強く、進路は幅広くスポーツ科学の学べる中京大学の体育学部に進学しました。
そして、今でこそあまりないかもしれませんが、丁稚奉公のように師匠と弟子という関係で、学校のない時間帯は師匠のいる治療院で治療見学をさせて頂き、雑用を行いながら、マッサージやテーピングを教わり、また人としてのマナーなどの教育を受けました。
一番は、師匠の話し方から身振り、手先までを全て観察し、「盗む」ことで覚えていくことが大切でした。
平日は、大学が終わり次第治療院にて学び、週末は陸上・バスケ・バレエなどの競技にてトレーナー活動をさせて頂きました。

2006年、研修先三菱電機バスケットボール部211cmの富永選手と
息子さんは有名な日本代表の富永啓生選手

いつも同じ志の方々が10名ほどいて、毎晩交代で夕食を作り、皆で同じ釜の飯を食べ、遅くまで勉強させて頂きました。
当時は終電ばかり乗ってました・・・懐かしい

大学生らしい生活はまったく送れませんでしたが、休みなしの日々からハングリー精神はとても鍛えられたと思います。
また、日本代表など第一線で活躍するアスレティックトレーナーの方のアシスタントをしながら、その姿を間近に拝見できたことは本当に貴重な経験でした。
今の自分の原点となっております。
大学卒業後、鍼灸治療の必要性から中和医療専門学校に進学したタイミングで、情けないながらも、トレーナーという仕事の現実の厳しさについていけず、師匠の元を離れました。
今となれば、何よりも一番に時間が欲しかったのだと思います。若さ所以のものもあったかと思います。
それでも将来チャンスがあればトレーナーとしてまた現場に立ちたいという想いはあったので、専門学校に通いながら、整骨院やリラクゼーション施設などでアルバイトをしながら下積みを積んでおりました。
併せて、飲食や派遣業、新聞配達など他業種のアルバイトも経験しました。
一時は専門学校へ行きながら、整骨院・リラクゼーション・新聞配達のアルバイトを3つ掛け持ちしてたこともあり、その中でも朝4時出勤の新聞配達が一番きつかったです

その時は、一旦トレーナーという仕事から離れ、この仕事以外の世界を知ることが出来たのも、今となっては大きな財産かと思います。
人生を違った角度から見れ、広い視点で考えられるようになりました

そして専門学校卒業後、婚約相手が沖縄出身ということで沖縄に移住することを決意しました。
続く